高尾山古墳は、どうしてこの場所に作られたのか、
その場所の選び方について考えてみます。
高尾山古墳のばしょについては、
山と平野の境である、
愛鷹山の尾根の先端に作られた、
と、よく説明されていますが、
愛鷹山の尾根の先端なら、いくつもあって、
最も南に突き出した部分は、
高尾山古墳の東側の、天神ヶ尾遺跡が相当し、
この部分には、
古墳時代から昭和の初めまで,
千年以上に渡って、祭祀が行われていた、
御手洗池も存在するので、
いくつもある、愛鷹山の尾根の中で、
この尾根の先端に、
作らなければならない理由は不明だったのですが、
グーグルマップで遊んでいた所、
偶然にしては出来すぎている事実に気が付きました。
富士山山頂と天城山の最高峰の万三郎岳を直線で結ぶと、
その線は、沼津市を通過します。
富士山の山頂と、
天城山の最高峰の万三郎岳を
線で結んでみると、
香貫山山頂の東側を通って、
高尾山古墳の後方部の中心を通過します。
平成27年9/3(木)の協議会で、
禰宜田委員が「今回初めて古墳を見させていただき、
高尾山古墳は墳丘が高いということが価値を一層高めることになる。
全国でこの時期の遺跡の指定の事例はあるが、このように墳丘が高い事例はない。」
と、発言されていましたが、
西暦230年の築造にしては、例のないほどの、
高くて大きい墳丘は、
富士山と天城山を結んだ位置にある、
愛鷹山の尾根の先端に古墳を作るという計画のもとで、
天城山が香貫山に隠されて見えない自然地形をもつ、
富士山-天城山ラインの線上の尾根に、
天城山が見える高さにまで土を盛ったので、墳丘が高くなり、
愛鷹山の尾根の先端まで前方部を伸ばそうとしたので、
西暦230年の築造にしては、例のないほどの、
高くて大きい墳丘が作られたのだと考えられます。
以上の事から、高尾山古墳は、
現在の場所で、作られた当時の墳丘の高さを維持することが、
古墳の学術的な価値を保存する事になると考えられます。
2015(平成27)年9月21日作成