沼津市役所の主張では、
古墳の学術的な価値を保存する事には、異議がないようなので、
高尾山古墳の場所が持っている、学術的価値について考えてみました。
千田嘉博_奈良大学
@yoshi_nara
本日の夕方、沼津市教育委員会のご厚意で、高尾山古墳を特別に見学させていただきました。
現地に改めて立って、このかけがえのない古墳が関係のみなさまのご尽力で、よく残ったと感じ入りました。
すばらしい遺跡整備の実現が、待ち遠しいですね。
5:37 - 2015年8月22日
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伏岡一成 @tanukikombu 8月23日 大阪府 大阪市 中央区
@yoshi_nara 本当によかったですね!一時は、日本も此処まで来たか…。とまで思っていましたが
まだまだ日本も捨てたもんやないですね。古いものを否定する先には未来はないですから。
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千田嘉博_奈良大学 @yoshi_nara 8月23日
@tanukikombu 本当にすばらしい決断だったと思います。これから適切な整備が進むと、改めて古墳を残せた意義を多くの方が実感していただけると思います。
ツイッターの記事自体は、
高尾山古墳が保存に向けて動き出した事を喜ぶもので、
特に重要な内容があるわけではないのですが、
貴重で非常に重要な情報があるのは、
古墳から南側を写した、添付されたこの写真です。
何しろ、高尾山古墳の墳丘は、現地に残る根から考えても
少なくとも300年以上、木々に覆われていた事は確実で、
遠くの景色は見られない場所だった上に、
発掘調査の時の見学会では、
遺構だけを見ていたので、
周りの景色など見るヒマがなかったり、
現在では、立ち入り禁止の柵が立っていて、
一般人は入ることができない空間で、
市会議員や、取材の人が入っても、
天気の良い日の、
墳丘からの景色を公開してくれなかったので、
千田嘉博さんのツイッターの写真が、
初めて見る、
高尾山古墳の墳丘からの南側の景色なので、
この写真はとても貴重なものです。
高尾山古墳、墳丘上部から撮られたこの写真の左手奥に、
香貫山が写っていますが、
香貫山の山頂の右脇から、鷲頭山の頂がのぞいて見えます。
天気の良い日に香貫山に登ったことのある方なら,ご存知かと思いますが、
香貫山の芝住展望台から南を見ると、
天城山の最高峰の万三郎岳は、
鷲頭山の左肩に隠されて、ギリギリ見えない位置にあり、
香貫山の山頂からだと、鷲頭山の左肩に重なって、
万三郎岳がギリギリ見える状態になります。
ということは、
高尾山古墳の後方部の墳丘は、
香貫山と万三郎岳が重なる場所に作られていると考えられます。
本当かどうか、
カシミールで調べてみると。
右の大きい図で赤く表示された部分が、
天城山の万三郎岳の可視領域です。
大きい図で見ると、
香貫山山頂から万三郎岳が見えるのは確認できるのですが、
高尾山古墳の場所は一見、
可視領域から外れているように見えるので、
拡大してみました。
緑のラインが、万三郎岳と香貫山の山頂を結ぶ線を、
高尾山古墳まで延ばした線で、
この線は、そのまま延ばしていくと、実は
最終的に、富士山に到達するのですが、
今回は、図面を作るのが面倒なので、
話の持って行き方が逆になりますが、
その件は、また後ほど、考察します。
この、万三郎岳と香貫山を結ぶ緑のライン上で、
万三郎岳が見えるポイントは、
高尾山古墳の少し上に引かれている20mの等高線の少し上、
25mの等高線より、20mの等高線に近い位置に、
赤い領域の境が来ているので、
だいたい、
標高22mより上に行くと、万三郎岳が見えると考えられます。
発掘調査報告書によると、
高尾山古墳、後方部の、作られた当時の高さは、
標高22mと推測されているので、
高尾山古墳は、
天城山と富士山を結ぶ線上にある、
愛鷹山の尾根が平野に接する地点に、
天城山が見える高さにまで土を盛って、
天城山山頂と、香貫山山頂と、
高尾山古墳墳丘頂部が、一直線に結ばれるように、
作られたと考えられます。
沼津市役所の主張では、
古墳の学術的な価値を保存する事には、異議がないようですが、
この、
高尾山古墳の場所が持っている、学術的価値については、
どうやって保存しようと考えているのでしょうか?
2015(平成27)年8月30日作成